2009年5月12日火曜日

NOという力

今日は少しまじめな話を。
みなさんは自分ができないこと,わからないことに対して,素直にNO!と言えますか?これはすごく単純なことがですが,すごく難しいことです。ものごとに対してすごくまじめで熱心だったり,あることに対する自負心やプライドがすごく高かったり,あるいは,周囲の眼をとても気にする人にとっては本当に難しいことです。
かくいう僕も十分できているかというと,「100%」No!と言えます,とはなかなか言い難い。例えば,自分自身現在,学校の中でも外でもかなりの仕事を抱えています。それぞれ単発では引き受けることが可能でも,すべてが同時に自分の身に降りかかってくると,定められた時間内に求められた成果を出せないこともあります。成果を出せないと,自分が困るだけではなく,関係する人たち全員に迷惑や不利益を与えることになってしまう。社会的に責任のある仕事になればなるほど,その重要性は高まります。
学校生活でも同じ。学生に我々が何かを教えて,「OK?」と聞いて,学生が「Yes」と言えば,我々はそれをある程度信用するしかないわけです。ただ,それを信用してそのまま研究指導や学習指導を続けてしまい,後になって,実はぜんぜん理解していないことが分かると,それまでにかけた時間と労力がすべてゼロになってしまいかねない。これは,貴重な時間をドブに捨てたに等しく,実際上も精神的にも非常に苦痛になります。
だから,学生には,本当に理解したときだけYes!と言って欲しい。分からないときは分からないとはっきり言って欲しいわけです。
逆に我々教える側も,神様や仙人じゃないんだから,学生のリクエストや質問に対して100%十分な対応ができるとは限らない。そういう時ははっきりとNo!と言えなくてはいけないと思っています。ですから,学生に対しても自分が自信のないことははっきり「よくわからん」ということがあります。特に新しい研究を進めているとそんなことにはよく出くわすし,よくわからんことを一所懸命学生と一緒になって考えて前へ進むことが研究そのものだとも思います。学校は学ぶ場であり,前の見えないことを考えて研究する場でもあります。
そこで「分からない」ということは決して恥ずかしいことではない。学校では教育サービスを受ける側も提供する側も互いに情報交換しながら学んでいるのだと思います。学生に物事を教えながら我々自身が学ぶことも多いんです。だから,我々教員もわからないことを「わからない」と素直に言うことは,程度にもよるけれど,決して恥ずかしいことではないと思う。「できないことははっきりできないと言う」ことはとても重要だと思います。もちろん個人としてだけではなく,学校や会社など,組織全体としてもそういうことを公式に表明することはきわめて重要だと思う。一瞬の不利益を避けて取り繕ったがために,後で大きな損失につながることにもなりかねないと思います。
なんで今日,こういう話をしたかというと,今朝のある新聞記事を読んで,こういうことを連想してしまったことと,今日会議でこういう話題に関することを議論したからです。その新聞記事が何か,会議の議題が何かについてはここでは特に書きませんが,自分の守備範囲をしっかり把握して,できることとできないこと,わかることとわからないことを理解し,それを外部に対しはっきり表明すること。これは円滑なコミュニケーションを取りながら共同で何かを進めていく上で,また社会的な責任を果たす上でとても重要なことだと思うわけです。
えー,十分長くなりましたが,これ以上長くなっても困るので,この辺で終わります。

追伸:専攻科生のH君,ブックマークどうもありがとう!

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