禁断の果実には抗えない。
タスマニアの風土や文化は日本でいう北海道に本当に似ている。
陸地面積も北海道がちょっと大きいくらいだし,緯度も大体同じ。
海産物が豊富で,ビールやウィスキーの醸造所もある。
そして,リンゴだ。
タスマニアにはリンゴ農家と,リンゴから作るサイダーの醸造所も優れたところが多い。
というわけで,せっかくなんで週末を利用して行ってみた。
ホバートの市内から
711番のバス(Tassie Link)に乗って30分ほど,
Groveというところで降りる。
バスの停留所は Grove Store というこのあたりで唯一と思われる Grocery store。周りは何にもない。この店があるだけ。
そこから道沿いに 10 分ほど歩くと,
Willie Smith 直営の Apple Museum「
Apple Shed」がある。
なかなかイカしたリンゴのディスプレイも心憎い。
Willie Smith はオーストラリアを代表するサイダーメーカーの一つ。チャールズ・オーツという囚人がこの地に住み着いてフルーツを植え始めてから4世代目になるらしい。
醸造所はここではないらしいが,一族の歴史を伝える博物館とテイスティングや食事ができる設備があるというわけ。
というわけでテイスティング。
以下,右から順に。
- 'Bone Dry' Apple Cider
オーク樽で発酵させた後,3か月熟成させて発酵度を高め,甘みを抑えて,いわゆる「スーパードライ」に仕上げたサイダー。確かに甘さはほとんどなく,酸味が立っていてすっきりドライな仕上がり。
- Wild Ferment
完熟のリンゴをプレスしてさらに9か月自然発酵させて作ったサイダー。ドライで非常にしっかりしたタンニンを感じる上,ちょっとピクルスのようなヒネた香りに特徴を感じる。今回の僕の一番のお気に入り。
- Organic Cider (The Original)
ウィリー・スミスの定番サイダー。フレンチオーク樽で発酵させた北フランスの伝統的な製法を伝承したもの。フレッシュな果実味を感じながら,強いタンニンも感じる。シャブリなんかの代わりにシーフードと合わせてもベストマッチと思わせる。
- Perry
洋梨特有の甘い香りとフレーバーを持つが,すっきり感もありドリンカブルなペリー。ビールやドライなサイダーを苦手な向きにも好まれそうな味わい。
英国風のサイダーだと思っていたら,目指したところはフランスのシードルだったのね。でも,リンゴの皮由来の渋みが強く感じられるあたり,なかなかグッドでした。
日本の旅行ガイドにはなかなか載ってないので,タスマニアに来る方は要チェックですね。
さて,タスマニアには他にもサイダーを作っている醸造所は多い。
ローンセストンという町にある
Dickens という醸造所の直営店がホバートにもあるというので行ってみた。ローンセストンは James Boag's のビール醸造所があることでも有名なところ。
ホバートの店は,港からほど近い Salamanca の一角にある。
Dickens オリジナルのサイダー 6 種類のほか,ゲストサイダーやビールなどが楽しめる。店内のメニューボードも甘さと辛さを比較して書いてあったりする。
ここでユニークだったのは,"
Old English Cider"。
なんと,使っているリンゴの品種は「
ふじ」100%。
#ちなみにオーストラリアではキリンもふじを使ったサイダーを製造・市販している。
ただ,このサイダーがちょっと特徴的なのは,
ホップを使っているところ。
なんでも,古い英国のサイダーの中には,ホップを使ってビール感を出したものも多かったそう。
ここの店員のお姉さんと少し話をしたんだが,彼女は西オーストラリア出身で,タスマニア大学で学んでいるそう。僕がコンピュータサイエンスの教員だと言ったら,MatLabの実習が全然ついていけなくて大変だと言っていた。
タスマニア大学,情報専門でない学生にも MatLab の実習なんかさせてるのか!?
それはともあれ,西オーストラリアとタスマニアでは風土も若干違って,ちょっとした疎外感も感じているそうだ。ただそれは我々のような異邦人も常に感じるわけであって,「よくあることじゃん」なんて話もしたんだが,彼女に言わせると WA の人たちは,知らない人でも気軽に話しかけてくるけれど,こっちの人はそうでもなくて冷たく感じるとのこと。
どうなのかね?僕なんてタスマニアは北海道と風土が似ているし,人当たりも悪くないように思うけれど,それは逆に北国育ちだから鈍感になっているところなのかもしれない。
でも,まぁ,旅先で一人で呑んでて楽しいのは,土地の人とのこういう会話だったりするね。
ともあれ,北国はいいリンゴといいサイダーができる土壌なのだな,と実感。
やっぱり,日本でも特に東北・北海道発のサイダー文化が根付いてほしいと心から願った夜なのでありました。