2009年9月10日木曜日

ライヴ

今日はDSPS教育者会議というのに出席するため,東工大の大岡山キャンパスに行きました。この会議は,デジタル信号処理に関する教育や研究事例を報告するもので,特に信号処理用のプロセッサ(DSP)の応用事例なんかが多く報告されます。実際,この会議もDSP製品を開発しているテキサス・インスツルメンツ(TI)社が後援して(実際にはかなり深く関わって)いる。ボクは学校の授業で信号処理なんかを担当しているわけではないけれど,学生の研究指導でTIのDSPを扱ったことがあって,その関連でなんとなく毎年顔を出しています。今年は,e-learningなど,必ずしも信号処理に関係しないような話もありました。
e-learningね。今日報告されていたのは,スライドを使った授業で,スライドの内容と,先生が講義をしている映像,レーザーポインタでスライドのどこを指しているか,なんていうのが収録された教材に関するものでした。
前にも書いたことがあるような気がするけれど,ボクは授業をライヴみたいなもんだと思っています。同じ内容の講義でも,たとえば,受講している学生の顔ぶれ,反応,顔つき,話をする僕自身のその日の気分,体調,その日の天気,窓の外から聞こえてくる音,その日のニュース,なんかによって,いろんなアドリブが入るわけ。だから,同じ内容を話していても,授業の印象って毎年毎年違うものになるんですよね。うまくいくときもあれば,いかないときもある。うまくアドリブが乗らなかったからといって,授業のクオリティがことさら低いわけではない。そういう小ネタがすべるかすべらないか,受講している学生の印象としてどういうものが残るか,そういうところも含めて,少なくともある程度のクオリティを保てるように努力しているつもりです。だから話術を磨かなきゃなぁ,ということはいつも思っているわけね。人間の記憶って,ある一つの側面からだけではなく,複数の刺激が合わさることによって強められると思うからね。単に教科書読んだり,ノート取ったり,だけではなく,授業中の小ネタとか,その日の体調とか,教室の雰囲気とか,そういうものと一緒に刺激として与えられると,記憶がより強まると思うわけです。
というわけで,ボクはe-learningを否定はしないし,授業を録画して保存することにもことさら反対するわけではないけれど,その保存されたコンテンツとしての授業のクオリティについては,ある一定以上のレベルは保証できないと思っているんですね。おそらく,e-learningの教材を作る立場の人たちも同じ考えなんじゃないかと思うし,そうでないとまずいと思いますね。録画されたコンテンツが生身の教員がやるライヴにかなうはずはないと思うし,教材が教員を超えてはならない。いや,逆だな。どんなに良いコンテンツや教材が開発されても,我々は常にそれを凌ぐような「ライヴ」のクオリティを保たなくてはならないということなんだと思います。CDとかDVDとかそういうものに自分の演奏を収録されることをことさらに嫌う音楽家のインタビューを読んだか聞いたかしたことがあるけれど,そういうのに近いような気がしますね。
だから,授業で何だかテキトーな馬鹿話してると思って聞いている学生も多いだろうが,ボクの馬鹿話は単なるたわごとじゃないんだぞぉ! それも含めて授業なんだぞぉ! だから,学生諸君も授業中の小ネタを聞き洩らさないようにピーンとアンテナを張って授業に臨むように!! まぁ,アドリブとか小ネタだけ記憶されても困るんだけどさ....いずれにせよ,インプロとしての授業のクオリティをどう保つか,向上させるかってのは,こういう仕事してると永遠のテーマとも言えるかもしれない。
教育者会議の方は3時くらいで中座しまして,その後,専攻科の学生がインターンシップを行っている共同研究先のモバイル・テクニカさんに実習の見回りに行ってきました。そうしたら,学生の実習内容はTI製のボードにLinuxとGoogle携帯のプラットフォーム(Android)を積んで,アプリケーションを開発していました。ある程度のものができたようで,まぁ,良かったみたいです。しかし,なんか一日TIづいていたなぁ。

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