中原みすずの小説『初恋』を図書館で借りて読みました。動機はしばらく前にテレビで放映された宮崎あおい主演の同名映画を見たからです。その原作というわけ。 著者の中原みすずは,まえがきで,自分が府中三億円強奪事件の実行犯だと思う,と述べています。この小説(そして映画)は,三億円事件の実行犯が実は女子高校生だった,という内容です。映画の出来はおいといて(^^;.....この映画で語られた出来事の信憑性を確認したいという思いが芽生えて,図書館で借りてきました。
結論から言うと,おそらく,この小説で描かれていることは半分真実,半分虚構であろうと思います。当時,著者らと交流があったと思われる中上健次の詩がそのままの形ではないにせよ,引用されていることからも想像されるように,おそらく舞台となったジャズ喫茶の存在とそこにタムロする若者たちにはすべて実在のモデルがおり,語られている内容もほとんどが真実なのだろうと思います。ただ,それと三億円事件との関連については,若干の無理があると言わざるを得ない。あるいはこの本の著者は三億円事件の真犯人を知っている,あるいは真犯人に極めて近いとされる人物を知っている可能性はあるかもしれない。しかし,この本に書かれていることが真実だと信用させるだけの説得力が,ここにはありませんでした。捜査上明らかになっていることの裏づけがすべて与えられているわけではないし,いくつかの事実を結びつけて,わからない部分を空想で描けば,同じようなストーリーはいくらでも紡げるだろうと思います。
しかし,読んでいるうちに,ここで描かれている出来事が真実であるかどうか,などということはどうでもよいという気分にさせられました。物語としてはよくできているし,歴史的な大犯罪を語っているとは思えない静かでアンニュイさを湛えた文章は,時代の空気を的確に伝えて,かつ,タイトルにある「初恋」の切なさを感じさせるに十分だから。その意味でも,この作品が事実であるにせよ,ないにせよ,この作品の存在そのものが愛おしいような気分にさせてくれるものでした。だから,この作品を小説と呼ぶのはそれで正しいのだと思います。
実際,著者の中原みすずさんは実行犯だとカミングアウトしているわけではなく,実行犯だと思う,ということ以上は語っていない。おそらくありえないことだとは思うが,ここに書かれていることをすべて真実だと認めたとしても,真の実行犯が別にいることを反駁できるわけではない。かつ,三億円がその後どうなったのか,なぜ,彼女の存在が捜査線上に上がらなかったのか(ないしは上がったがもみ消されたのか),その点については,著者の彼女自身知る由もないし,知っているはずもないわけです。だから,「実行犯だと思う」という彼女の言葉は,いくつかの意味で的を得ていると思うし,論理学的に見ても嘘ではないでしょう。
こんな作品に出会えるのだったら,真実などわからなくてもよいという気もするし,時効を過ぎてまで真実を探ろうとすることが無粋にさえ思えてきます。だって,真実が明らかになっていないから,我々は想像力の翼を広げることができるわけだから。科学者にとっては,真実と虚構を区別することは当然なわけだけれども,真実と虚構の間に線引きをすることがすべての場合においてふさわしいわけではないのだろうという気持ちになりました。
ひょっとして,著者の真意は,読者に僕のような考えを呼び覚ますことだったのかな? 罠にまんまとはまったんだろうか?? まぁ,仮にそうだとしても,それはそれでいいけどね。
しかし,初版本の帯には原田芳雄のコメントがあったらしいし,表紙の美しいデザインは浅野忠信によるものだそうだ。んんん,まぁ,そのあたりは虚構っぽいと言えば虚構っぽいよなぁ。
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