えー,
北九州市立大学の小嶋です。
自分でも知らないうちに電撃移籍してたのかと思いました。もちろん,完ッ璧な間違いですので,ご安心あれ…むしろ心配だってか?ってか,なんでこういう間違いが起こるんだか。
というわけで 3 週間ぶりのご無沙汰でした。この間,いろいろ忙しかったり,ここ 9 日間は中国に出張していてココにアクセスすることすらできなかったので,許してちょんまげ。
というわけで,今日は中国出張のご報告。前半(9日~12日)は桂林で行なわれた IWSDA2011 という通信のための信号設計に関する国際会議,その後,大連に移動して13日~16日は IIHMSP2011 という情報ハイディングとマルチメディア信号処理に関する国際会議でした。
IWSDA の方は 2 年に一度,日本と中国で交互に開催しているもので,前回の 2009 年は福岡で,僕もプログラム委員長を務めていました。次回は東京らしいのでまた働くことになるっぽい。桂林では僕が研究発表し,大連ではそれの延長に当たるような話を専攻科の学生に発表してもらいました。特に大連での学生の発表内容は評判が良く,この 2 編を中心にもう少しブローアップしてフルペーパーにしようかと思ってます。
さて,仕事の話はこの辺で終わりにして,やはり中国,4 千年の歴史は侮れないってことで,少し小噺をば。上のネームタグの件もそうだけど,いろいろ想定外のことがありました。その一つが大連で行なわれた IIHMSP。この会議,1ヶ月くらいまで大連のどこで行なわれるものやら,アナウンスが全然なく,本当にあるんかいな? というくらい不安でした。さすがに会議はきっちり行なわれたんだけど,初日参加受付をしたときに衝撃が!
通常,会議の受付をすると,プログラムやらネームタグやら,予稿集の CD-ROM やらが入ったバッグを渡されます。今回はそれに加えて,もう少し大きな袋が付いてきました。
なんじゃこれ?
と思って開けてみると,これが,海鮮珍味,いわゆる「乾き物」の詰め合わせ。サキイカやら干しエビやら…まぁ,大連は海に面しているから海産物が名産なんだろうけどさ…今までいろんな国際会議に出席してきたけど,お土産でおつまみセットをもらったのは初めての経験。まぁ,コストは大したことないんだろうが,450ドル払った参加費の一部が珍味に化けたのかと思うとちょっとやるせない気になりましたなぁ。
ちなみに,中国ではほとんど英語は通じない。まぁ,わが国も大して変わんないのかもしれないけれど,何か食べに行ったりして英語で話しかけても,中国語でまくしたてられる。だいたい,その時点で通じないことくらいわかるだろうに,その後も執拗に中国語でいろいろ聞かれる。あんまりしつこいので,日本語で
だからわかんねぇ,っつってんだよ!
とか言ってみたんだが,それに対しても中国語でいろいろ返してくる。この強さは一体何なんだ?世界で一番話されている言語ゆえの自信か?この間にやり取りされた情報量は限りなくゼロに近いんだが,宇宙人のジョーンズ君あたりが見たらかなり流暢にコミュニケーションを取っているように見えるんだろうなぁ。
しかし,考えてみると,程度の差こそあれ,同じようなことはヨーロッパあたり,ドイツ,フランス,イタリアなんかに行っても体験するわけで,異国語に対して母国語で返すというのは,意外と世界標準だったりするのか?日本人がまじめ過ぎるのかもしれないよね?日本でも英語で道聞かれたりしたら,
え?何?何言ってっかわかんねぇよ
とか,
えっとねー,まっすぐ行ってぇ,右!
とか言ってもいいんじゃないですかね?日本人は外国人に対してあまりに卑屈,というか,あまりに寛容すぎるんじゃないだろうか?僕んとこにも今,フィンランドの留学生が来ているけど,分かりにくいと困るからと思って,英語で話しがちになる。だけど,向こうは日本語を学ぼうという意志もあるから,今度から基本,日本語にした方がいいかもなぁ。ま,ちょっと意味合いは違うけどね。
いずれにしても,英語が話せれば何とかなるってのは実は幻想で,少なくともグローバルスタンダードではないのかもしれないですね。まぁ,校内の立場的に,ボクがこういうことを言うべきではないんだろうけどさ。
長くなりました。
最後におまけ。一応,空き時間にいろいろなところを見たんで写真をいくつかご紹介。
まず,桂林の IWSDA の会場は両江四湖という名所の一つ,榕湖という湖のほとりにあり,すごくキレイなところでした。下は湖に浮かぶ日月塔という,いわゆるツインタワー。
Conference Tour では,桂林観光の目玉,漓江の川下りに行きました。曇っていたけれど,これが絶妙に山水画のような風景を醸し出して,なかなかでした。
大連は,会場の大連理工大学が市街地から離れていたので,なかなか歩きまわる時間がなかったけれど,一昨年から公開されたという「特急あじあ号」を見に行ってきました。日本統治時代に大連からハルビンまでを結んだ日本製の特急。70 年以上前に 700 キロを 7 時間半で走ったというんだから,当時から日本の技術力がいかに優れていたかがわかります。流線形のフォルムがアールデコのポスターみたいでグーよね。
本当は時間があれば旅順の方まで足を伸ばしたかったんだけれど,決して遊びに行ったわけではない(←ココ大事!)ので,それはまたいつかのお楽しみ。
というわけで,以上,報告終わり。
さぁ,明日は科研の申請書仕上げないとなぁ。一気に現実ですわ。
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