2013年2月8日金曜日

アートとしてのヒップホップ?

面白い映画を見た。

『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人 (Herb & Dorothy)』


つつましい生活をしながら,ミニマムアートやコンセプチュアルアートといった現代アートの作品を買い集め,気が付いたら世界でも屈指のアートコレクターとなっていたという夫婦のドキュメンタリーである。2008年の作品。給料で買えるもの,しかも,電車やタクシーで持ち帰れて1LDKのアパートに入るものだけをコツコツ買い集めていたという二人のたたずまいが何ともチャーミングで温かい気分になる。

アートコレクターについて考えたことはあまりなかったが,この映画を見て改めて納得したことがある。コレクターが作品を買うとき,それなりにあるポリシーを持って買い集めるだろう。したがって,そのコレクションが公開されるときには,他人の作品ではあっても,コレクション全体を眺めた時には,そこにコレクターの主観がそこはかとなく表れているんじゃないだろうか。ということは,アートコレクションそのものも,他人の作品をコラージュしたある種のアート作品なんじゃないか,という気がする。

これって,ポップミュージックにおけるDJなんかの役割とちょっと似ているようにも思える。特にハーブとドロシーの場合は,コレクションに含まれる作品が4,782点(!),アーティストの数も 170人あまりに及ぶ。まさに,それぞれのアーティストのおいしいところを少しずつ集めた見本市,いや,サンプリングって言い方もできるんじゃないだろうか?そうか,これってある種のヒップホップカルチャーだったんじゃないだろうか??それは言いすぎかな?

実は映画自体もユニークな作りになっている。アーティストやキュレーターらのインタビュー映像や二人の様子,昔の映像などといった素材を,時間軸に沿わずにパッチワークのように貼り合せたような作り。それでいて,1本の作品としてのうねりを持っている。これもやっぱりサンプリングっぽい作りだ。

彼らがアート作品を買い始めたのが70年代あたり,しかも,ニューヨークで…って,やっぱりヒップホップの台頭と偶然にも符合する。ま,僕の妄想かもしれないけれど,これって面白い一致だ。

さて,この2008年の映画をなぜ今見たのかって話なんだけど。
実は,続編にあたる『ハーブ&ドロシー ふたりからの贈り物 (Herb & Dorothy 50×50)』がこの春,世界に先駆けて日本で公開される。
前作では,二人がワシントンにある国立美術館に全コレクションを寄贈するところまでが描かれている。このコレクション,国立美術館でも全部を保存するのは手に負えないということで,全米50州にある50の美術館に合計2,500作品を寄贈するというプロジェクトが2008年に発足。続編ではこのプロジェクトのようすが軸に描かれているという。

映画を監督したのは佐々木芽生さんという女性,実は,僕の高校の6年先輩にあたる。
この作品の製作と配給にあたっては,助成金や協賛だけではなく,クラウドファンディングという方法で資金調達が行われている。この方式はインターネットを利用して,少額の資金を多数の支援者から募り,映画やアートなどの文化事業を実現し,サポーターを確保するというものである。東北の震災復興なんかでも利用されたことがあるので,聞いたことがある人も多いと思う。

今回のクラウドファンディングの目標金額は1,000万円。
僕の母校の同窓会有志でも応援しようという声が上がり,このうち150万円を同窓生ベースでカバーしようという活動が行われてきた。

このクラウドファンディング,締め切りが連休明けの 2月12日
500円から支援が可能で,支援金額に応じたノベルティも受けられる。
もちろん,僕もささやかながら支援をさせていただきました。
興味のある人は,こちらのサイトをのぞいてみてください。

あと,関連するサイトも下にあげておくので,ポチってみてね。

 ・「ハーブ&ドロシー」公式サイト(日本語)
 ・Herbert and Dorothy Vogel - Wikipedia (英語)
   (Wiki では,彼らのコレクションに含まれるアーティスト一覧も見られます)


2013年2月1日金曜日

師曰く…

ここんとこ,世間では暴力やら体罰やらでひと騒ぎあるようですね。

今朝 twitter でも書いたんだが,一連の問題で議論するべきことは,暴力の是非ではない。
暴力や体罰がなくても,問題の指導者や教師はいずれ他の理由で糾弾されたのではないか?
あるいは指導や教育の成果を示すことなどできなかったのではないか?

なぜ,そう思うかというと,問題の根源は何かといえば,師弟間における信頼関係の喪失にあると思うからだ。もちろん,信頼関係が築かれていたからと言って暴力は許されないと思うが,一つの小さな過ちが大きな問題に発展するようなことは避けられただろう。

教師だって人である以上,完璧ではありえないし,過ちの一つや二つは起こす。それは初めからわかっているわけで,その過ちを認めて正し,軌道修正することは,指導する側とそれを受ける側との間に信頼関係がなければあり得ないだろう。

教師や指導者も,学校や教室,チームというコミュニティを形成する一要素に過ぎず,その中で,ある特定の役割を与えられているに過ぎないのだと思う。そうだとすれば,指導する側は,そのコミュニティのお山の大将になるのではなく,集団の中における自らの役割,立ち位置をしっかりと見極めることが求められるだろう。また,指導される側が指導者を敬うのと同時に,指導者側も指導される学生や弟子に敬意を払うべきだ。だからこそ,そのコミュニティがうまく回転し,そこに成果が表れるのだと思う。

僕は,時々,ある先生に言われた言葉を思い出す。

大胆かつ謙虚に。

これは非常に含蓄に富んだ言葉で,今でも僕の行動原理の一つになっている。研究者としても教員としても,ことを起こす上での一つのよりどころになっている。そして,これこそが,我々が教員たりうる上で,学生たちとの間に信頼関係を築く上で重要なカギともなっているように思えるのだ。

そもそも,我々教員が相手にするのは,リカちゃん人形やバービー,ミクロマン(懐かしいな…)やG.I.ジョーなどではない。血の通った,感情のある,頭でものを考えることができる人間たちなのだよ。一人ひとり考え方も能力も違う。我々に求められているのは,一人一人にカスタマイズされた指導を臨機応変に行うことだ。もちろん厳しい指導を行なうことは必要だろう。そこには譲れないものがある。しかし,感情にまかせて突っ走ったり,ただ一つの原理に突き動かされて画一的な指導を加えることは到底適切とは思えない。それより,時には,一歩ないし半歩下がって自らの背中から物事を見ることも必要だろう。そうすることで自分を含めたコミュニティ全体を客観的に眺めることができるのだと思う。まさに謙虚さのなせる業だと思うのだ。

自分が学生たちとの間に絶対的な信頼関係を築けているとは必ずしも思わないけれども,少しでもいい関係が作れるように努力はしているつもりだ。これは,本当のところは,言葉でいうほど生易しいことではない。我々のような職業は,そういう意味で,それなりの能力(というより適性かな?)や経験だけではなく,緻密さや繊細さが要求されているのだと思う。まぁ,いつもこんな小難しいことを考えて学生と向き合っているわけではないけれども,特に,昨今の報道を見るにつけ,改めて襟を正さずにはいられない。

大胆かつ謙虚に。 
 
そんなわけで,今日もこの言葉をかみしめて,少しだけ背筋を伸ばしてみた。


2013年1月15日火曜日

時代は変わる

よく聞かれて答えに窮する質問がある。

一番好きなビールって何ですか?

それと同じくらい答えに窮するのが

一番好きな映画って何ですか?

とか

一番好きな映画監督って誰ですか?

ってやつだ。

ただ,だいたい自分の答えは決まっている,というか決めている。

一番はなかなか決められないんだが,日本人で好きな映画監督を3名挙げれば,
僕の場合,ほぼ迷わずに

木下恵介,深作欣二,大島渚

となる。

今日,その最後の一人が鬼籍に入られた。

3人とも,僕が生まれる前から映画を撮られているし,
大島監督に関して言えば,もう新作を撮るなんてことはないと頭では分かっていたが,
やはり,それなりのショックを受けずにはいられない。

ショックというか,寂しさ… いや,違うな,ある種の危機感かもしれない。

僕がむさぼるように映画を見始めたのは高校3年から大学に入った頃で,
それ以前に見ていた大島作品は「戦メリ」ただ1本だった。
事実,リアルタイムで公開時に見たものも「戦メリ」と「御法度」だけだ。

それ以外は,ひたすら後追いで見たわけだ。
ただ,「戦メリ」や「マックス、モン・アムール」なんかを除けば,
大島作品がテレビで放映されることは稀だったから,
名画座なんかのリバイバル上映かレンタルで見るくらいしか,手はなかったんだけれど。

しかし,そんなこんなで,学生時代,
初めて「絞死刑」や「少年」なんかを見たときのある種のショックは忘れられない。

学生時代は,小難しい映画を見て,小難しいことを考えて,
わかったようなことをあーだこーだ言っていたようにも思うが,あのショックは,
そんな小賢しい映画青年の脳天にガツンと鉄槌を下すに十分な破壊力を持っていたと思う。

上の3人の監督は,それぞれ向いているベクトルが違うようにも見えるかもしれないが,
僕の中では,しっかりとした共通項がある。
それが何かは敢えて言葉にしないけれども,
3人に共通して,僕の心に響くものが確かにあるのだ。
それがまさに,上で書いたある種の危機感につながっている。
使い古された表現ではあるけれど,一つの時代の終わり,というか,
時代が移ろいゆくことの恐怖とでも言おうか…

ということで,今宵は,大島監督の長編第1作でもある「愛と希望の街」を見て,
その辺を確かめながら,思いを馳せたいと思う。

大島作品と出会えたことは,僕にとって非常に重要でした。

合掌。


2013年1月4日金曜日

ごあいさつ

新年あけましておめでとうございます。

昨年は公私ともども多忙で,なかなかこちらの更新もままなりませんでした。
今年は,昨年よりはゆったりと,皆様に怒られない程度に
マイペースで行きたいと考えております。

さて…

昔の投稿を何の気なしに眺めていて思ったのだが,
以前は,結構どうでもいいことをここに書いているのね。

昨年あたりは,どうでもいいことは fb で,長文はこちらで,
ってな感じに(意識せずに)なっていたようなところがあるんですが,
こちらしかご覧になっていない方も少なくないのでね。
今年はこちらにどうでもいい,ちっこいことも書いていきましょうね。

というわけで,本年もよろしくお願いいたします。

2012年12月27日木曜日

仕込み,ツカミ,オチ

さて,僕らの仕事は落語家みたいなもんだとか,前にここでも書いたような気がするが,今日はそんな話。

やっぱり,授業をする前には,ネタの仕込みが必要なのよね。毎年同じ科目を担当していても,聞いている学生は違うし,ノリも違う。そうすると,やっぱり,その都度,それなりの仕込みが必要になる。

そして,高座(教壇)に上がると,まず,最初のツカミが重要なのだ。こっちに注意を向けて,「これから何が起こるんだろう?」と思わせる工夫ね。で,授業の最後には,90 分なら 90 分のストーリーをまとめる意味で,オチをつけなくちゃいかん。オチがバシッと決まって,

おあとがよろしいようで

ってとこで「また,来週!」となる。やはり,ツカミとオチが決まるかどうかも,事前の仕込みにかかっているわけだが,仕込みが十分にできずに本番を迎えてしまうこともあるし,十分に仕込んだつもりでも,うまくツカメなかったり,ラストでスベることもある。

ここ 1 ヶ月くらいの間に,そんなことをいろいろ思ったので,今日はその話を書いてみる。

11 月 23 日に中学生向けの公開講座

ひらめき☆ときめきサイエンス
ミッション IH(M:IH) ~守ろう情報,伝えよう秘密のメッセージ~

というのを実施した。これは科研費で得た成果を小中高校生や社会に還元しようという学振の事業の一環で,内容としては,簡単な暗号に関する講座と,データハイディングの手法を用いて,好きな画像の中に秘密のメッセージを埋め込んで友達に送る,という実習の 2 本立て。 暗号の方は,これまでも何度も行なっているもので,こちらも慣れたものなんだが,データハイディングの方は今回が初めて。しかも,事前の仕込みが十分にできず,中学生が操作するにはインタフェースが複雑すぎる,ということもあった。ツカミはそれなりにうまく行ったと思うんだが,ちゃんとオチたかどうかは微妙だったように思う。やっぱり仕込みは重要だと再認識した次第。それでも,参加者アンケートはまずまず好評だったので,少し救われたが,今後に課題を残した。

月が替わって 12 月 1 日と 2 日には,英語で講義を行なうための研修というのを受けた。これは高専機構の改革推進経費というので,来年の夏にウチのガッコで日本人講師が外国人学生向けに英語でサマースクールを実施するという事業の一環。2 日間かけて,たとえば,自分の分野に近い授業のビデオやその transcript を探してきてコーパス解析をするとか,実際に自分が行なう講義の構成を分析するとか,そんな内容。研修の最後には,参加者がそれぞれ講義の短縮版のようなミニトークを行なって,それぞれが採点をしたり,コメントを与え合ったりした。実は,ここでも 10 分くらいステガノグラフィに関する内容をしゃべったんだが,メルボルンで在外研究をしている間にやった講義のスライドを抜粋して作ったものを使った程度で,しゃべりに関してもほとんど仕込みはできていなかった。英語もこなれていなかったし,自分としてはかなりイマイチだったんだが,トークのツカミの部分やオチを含め,講師の先生や他のメンバーからの評価は思った以上に高かった。ちょっと拍子抜けしたけれど,自分としてはかなり納得が行っていないので,来年の夏までにもう少しネタに磨きをかけなければ,と思っている。

一方,他人の授業を聴く機会もあった。12月8日に子供が通う小学校の授業公開があったので,上のムスメの理科の授業を見に行った。内容はいろいろな物体を通して,豆電球がつくかどうか?という実験。小学校の先生も,特にこういう時には仕込みをしっかりやるんだろうなぁ,と思わせた。金属は電気を通すが,それ以外は通さないというような通り一遍の授業が終わった最後に,

先生の服は電気を通すかな? 

と先生は質問。子供たちは,そろって「豆電球はつかない!」というが,先生は短い休み時間に体と服に導線を巻きつけていたみたいで,見事に豆電球は点灯。オチの迫力は十分だった。でも,中身がちょっと物足りなかったな。子供たちがどの物体は電気を通すか,通さないかというのを挙げていったときに,ある女の子が「ビール缶の底の部分!」と言ったのに,先生は黒板に「ビールの缶」とだけしか書かなかった。

そうじゃないだろ?

缶の横なんかは塗装があって実は通電性は低いが底の部分はアルミ剥き出しなので,電気を通す。そこに子供が気づいたんだから,それをくみ取ってあげなくちゃ!オチは良かったがアドリブが効かなかった例。余裕がなかったんだろうか?確かにアドリブはもう一歩高度な技だけどね。

お次は,僕の年内最後の授業の話。12月19日のこと。この日の僕の「情報理論」の授業は,事情があってビデオ撮影が行なわれた。同僚のクロダ先生が授業改善プロジェクトというのをやっていて,その一環で希望者の授業を撮影してくれるというので,ためしに撮ってもらうことにした次第。内容としては,かなり数式をガリガリやる回だったので,絵的にはイマイチなんだが,まぁ,いろいろな事情を勘案してこの日にしてもらった。自分が授業で話しているのが,客観的にはどのように見えているのかを一度見てみたかったしね。芸人が同じネタを何度やっても,毎回,少しずつ違うように,あるいはミュージシャンがライブで同じ曲を演奏しても,その時その時で微妙に違うように,僕らの授業も,同じ内容でもその時によって如実に違う。だから,録画した媒体は,あくまでも2012年12月19日の「情報理論」の第11回目の授業の様子を切り取ったものに他ならないし,授業としてのクオリティはライブには絶対叶わない(この辺のことも前に書いてる)ので,撮影されたビデオを教材として利用することは,あまり積極的には薦めない。ただ,自分としてはその時の立ち位置だったり,目線だったり,自分が授業するときに癖みたいなものを客観的に見てみたいと思ったわけ。実は仕込みそのものはあまり十分ではなかったし,オチというオチも付けられるような内容でもなかったので難しくはあったんだが,年明けにはビデオを見られるようなので,それを見たらまた報告しようと思う。

さて,それで今日なんだが,今日の夕方から北大で Imagine Cup の話をしてほしいと頼まれている。というわけで,この 2 ~ 3 日,時間を見つけて,仕込みの作業をしていた。ビデオ素材 3 本を含めて 50 ページくらいのスライドができあがり,何度か通してみたので,仕込みは OK。ツカミとオチも用意しているので,これがうまく機能するかどうかは,今宵のお楽しみ。

さぁ,もう 1 時間もしたら出動だなぁ。


2012年12月24日月曜日

豪雪

1か月ぶりの更新です。
この間,いろいろありましたが,その辺はまた別途 (^^;

実は,この週末から札幌にて隠遁生活を送っております。
もちろん,ぼちぼち仕事もしています。

今年の札幌は雪が多い。

実家の前にも巨大な雪が山のように積もっておりました。
道路脇だから危ないんだが,子供たちにはいい遊び場だったり…


実家近くの公園も 50センチ以上の雪が積もり放題積もっている状況で
子供たちは大フィーバー。


雪山作って遊ぼうということで,公園の雪だまりを開墾しました。


今日の雪はサラサラでなかなか固まらなかったのだが,
頑張って山作って踏み固めて,トンネルまで作りました。


僕ならマズいだろうけど,子供は上に乗っても陥没しませんでした。

2時間程度の除雪(?)作業でした。

2012年11月21日水曜日

週末の旅行者

11月に入って,週末はずっと旅行しているような気がする。週末も含め,今月は月の半分くらいを自宅外で過ごしているような状況。

まず,第1週,11月2日にハワイで行なわれたISITA2012から帰ってきて,そのまま伊勢へ小旅行。

第2週,11月8日~10日は前回書いたように東北へ出張。

第3週,11月15日~17日は研究会のため大分へ出張。

で,今週は第4週,昨日から山口大学に来ている。明日,東京へ戻って,あさっては連休の初日だが,学校で中学生対象の公開講座。その翌日,11月24日と25日は,札幌に移動。

いやはや,九州から北海道までまんべんなく移動しているような状況でございます。

というわけで, 今は山口県は湯田温泉。3年ぶりの湯田温泉。前回はSITAシンポジウムだったのだけれど,今回は山口大学の先生に招かれ,講演を行なうのが主目的。いろいろ事情もあって,昨日の夜,山口に入り,今日は研究打ち合わせと講演,明日の朝に東京に戻るという強行軍。

まぁ,でも素朴な温泉旅館で湯につかれるから良しとしよう。

というわけで,今日は講演会。午前中は10年来の知り合いでメルボルン時代もお隣にお住まいだったマツモト先生を訪問。 午後からが山口大学理学部の数理・情報科学合同講演会というので,話をしてきました。

一応,怒涛の出張ラッシュも一段落つくはずなのだが,溜まっている仕事はなかなか片付かない。あさっての公開講座の準備もまだ少し残っているし,それ以外にも急ぎで片づけなければならない仕事が列をなして待っている。

あ!!!試験問題も作らなきゃ!!!!

うーーーー,嫌なこと思い出した。

でも,とりあえず今日は風呂入って寝よ。明日があるさ…(これが敗因)

学生諸君は試験勉強を明日に持ち越さないように!(←説得力ないよな…)