ビアスタイルガイドラインというものがある。
ビールの官能評価,特に審査会などでビールを評価する上で,その種類(ビアスタイル)を明確に定義したもので,審査はこれに基づいて行なわれる。
僕がお手伝いさせていただいている日本地ビール協会では,米国のWorld Beer Cupで用いられるガイドラインを日本語版に再編集して発行している。World Beer Cup が2年に一度,偶数年に開催されるので,それに合わせて日本のビアスタイルガイドラインも2年に一度改訂されるというわけ。
よく聞かれるので,もう少し正確に説明すると,World Beer Cupの主催団体であるBrewers Association(BA)は毎年,ビアスタイルガイドラインの改訂を行なっており,過去数年のものも含めてウェブ上で公開されている(以下これをBAのガイドラインと書く)。実際にWorld Beer Cupや毎年秋に開催されるGreat American Beer Festivalで用いられるガイドラインは,このウェブ公開版とは若干異なっている。しかし,内容的にはそれほど大きな違いはなく(逆に言うと,微妙な違いはたくさんある),米国を中心とした世界のトレンドがどうなっているか,ガイドラインからもうかがい知ることができる。
ということで,日本地ビール協会による2020年版のビアスタイルガイドラインが完成し,僕の手元にも届いた。2004とあるが,これは2004年ではなく,20年4月版の意味。
世界の(正確には米国から見た世界の)トレンドに合わせて,ビアスタイルは時代とともに変化する。毎回の改訂で定義の内容が微妙に変わるものもあれば,新しいスタイルが定義されたり,または削除されたりすることもある。典型的には,非常にポピュラーになってきて多くの商業サンプルが出現した場合はスタイルに加えられることが多く,そうでない場合は消滅したり,他のスタイルと融合したりすることがあるといった感じ。
歌は世につれるが,世は歌につれない
と言ったのは山下達郎だったかな?実は,ビアスタイルも歌に似たところがある。ビアスタイルも世相を反映して変化を繰り返す。残念ながら,ビアスタイルが社会を変えるというのはさすがに言い過ぎだと思うけれど。
さて,というわけで,今回の改訂での大きな変化を見てみようと思う。
(1) ジューシーまたはヘイジーIPAなどの追加:
具体的には,
・ジューシーまたはヘイジー・ペールエール
・ジューシーまたはヘイジー・ストロング・ペールエール
・ジューシーまたはヘイジー・インディア・ペールエール
・ジューシーまたはヘイジー・インペリアル・ペールエール
が新たに追加された。ここ数年ポピュラーになってきたスタイルだが,BAのガイドライン2018版から掲載されているものが今回こちらにも反映された。
(2) 近年のトレンドを反映したスタイルの追加:
・インディア・ペールラガー(IPL)
・エマージング・インディア・ペールエール
・スペシャルティ・ベルリーナ・ヴァイセ
が追加された。IPLはホップを通常よりも強く効かせたラガー,特にフレッシュなホップを用いたものが該当する。エマージングIPAには,"emerging"という言葉からもわかるように最先端の様々なIPAが含まれる。例えば,ホワイトIPAやブラックIPAはもちろんのこと,ブリュットIPAやミルクシェイクIPA,フルーツやスパイスを使ったIPAなども含まれる。ただ,フルーツビールやハーブまたはスパイスビールも別で定義されているし,ブラックIPAの場合は,アメリカンスタイル・ブラックエール(カスケーディアン・ダークエールとも呼ばれるもの)などとオーバーラップするようにも見えるので,これらとの区別は注意が必要。ガイドラインの定義をよく吟味すると,その違いも見えてくる。要は,より「尖っている」ことがこのスタイルに求められるのかな?というのが,僕の理解。スペシャルティ・ベルリーナ・ヴァイセはフルーツやハーブ・スパイスを用いたサワーエールで,これも近年米国を中心にポピュラーになってきたもの。これらはいずれもWorld Beer Cup 2020用のガイドラインで初めて定義されたものでウェブ版のBAガイドラインには掲載されていない。唯一,BAの最新版ガイドライン(2020)では,エマージングIPAに相当するものは掲載されているが,名称はエクスペリメンタルIPAに変更されている。おそらく,「エマージング」という語は今はいいけれども,数年経つと必ずしも当てはまらなくなることを考慮した変更だろう。日本語版でも22年以降は変更になることが予想される。
(3) 実験的ビアスタイルの統合:
日本版ガイドラインでは,エクスペリメンタル・ビールやスペシャルティ・ビールがフリースタイルに統合された。従来,日本のガイドラインではフリースタイルエールやフリースタイルラガーが定義されてきた。BAのガイドラインにはこれらは存在せず,その代わりとして,特殊な発酵性原料を使用したスペシャルティ・ビールや通常使用されない技法や原料を使用したエクスペリメンタル・ビールというスタイルが定義されている。これらは現在でもBAのガイドラインでは定義されているが,日本独自に掲載されてきた「フリースタイル」との区別が明確ではないため,日本版では「フリースタイル」に統合されたというわけ。
(4) 日本独自のビアスタイルの誕生:
今回の改訂で柚子ビールが新たに追加された。フルーツビールやさまざまな柑橘系フルーツを使ったビールが日本をはじめとするアジア各国でもポピュラーになっている。アジア発,とりわけ日本発のクラフトビール文化のプレゼンスを高めることを鑑み,柚子ビールがフルーツビールとは独立したスタイルとして初めて定義されることになった。BAのガイドラインや World Beer Cupのガイドラインにはまだ掲載されていないスタイルで,世界に先駆けて日本から発信したスタイルということになる。将来的には他にもこのような新しいスタイルが日本やアジアから発信されていくかもしれない。従来からBAのスタイルにも含まれている酒イーストビールのように,いつの日か柚子ビールも世界標準になってくれると嬉しいよねぇ。
(5) その他の追加や削除:
今回新たに追加されたスタイルのうち,BAのガイドライン2018年版から掲載されているものとしては,
・コンテンポラリー・アメリカンスタイル・ピルスナー
・クラシック・オーストラリアンスタイル・ペールエール
の2スタイル,BAのガイドライン2019年版から掲載されているものは
・フランコニアンスタイル・ロートビア
・コンテンポラリー・ベルジャンスタイル・グーズランビック
の2スタイルがある。クラシック・オーストラリアン・ペールエールはオーストラリアではポピュラーなもので,オーストラリアの審査会AIBAでは,かつてよりスタイルが定義されてきた。
これらに加え,今回の改訂で新たに加えられたものとして
・ベルジャンスタイル・スペシャルティ・エール
・ノンアルコール・ビール
の2スタイルがある。ノンアルコール・ビールは,BAのガイドラインでは古くから定義はされていたが,World Beer Cup のガイドラインには含まれておらず,故に日本版にも含まれてこなかった。今回追加された背景には,米国でも商用サンプルが増えてきたことが挙げられるのかもしれない。コロナの影響でノンアルビールの売れ行きが伸びているらしいが,ガイドラインの改訂はコロナ以前から始まっているので,多分それは関係ない。
それと,今回から姿を消したスタイルとしてアメリカンスタイル・アイスラガーがある。なぜ消えたのか,理由はよくわからない。これが含まれるスタイルが新たに定義されたようにも見えないので,あまり作っているところが無いのかもしれない。それを言ったら,ヒストリカル・ビールの中には,ニッチなものが割とあるようにも思うんだけどね。
さて,最初にも述べた通り,ビアスタイルガイドラインは,本来,審査などで使用するためのものだが,手元にあると,実際にビールを楽しみながら味や香りを吟味することもできる。ビールの種類についてより理解を深めることで,楽しみ方の幅も広がるかもしれない。それほど高価なものでもないし,日本地ビール協会のオンラインショップから誰でも気軽に購入できるので,興味のある方にはぜひ入手をオススメしたい。
それと,それぞれのビアスタイルの歴史やなりたちをもっとよく知りたいという方には,僕の翻訳した本「コンプリート・ビア・コース」もオススメ。
米国や日本の実際の銘柄も数多く紹介されているので,実際にそのビールを味わいながら理解を深められる。こちらは価格は少し高めだけれど,情報量が圧倒的だし,1〜2回飲みに行くくらいのコストで一生モノの知識が手に入る!こちらもご贔屓にどうぞ。(決して露骨な宣伝ではない)
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ということで,ぜひ up-to-date なビールの世界を覗いてみてください。
いつの日か世がビアスタイルにつれるような日が訪れることを祈りつつ,カンパイ!